これを龍と呼ぶのかもしれない と思った日-昔話

こんにちは。 7月いっぱい、久しぶりにエネルギーワークを受けさせていただいたり、神様ごとをさせていただきました、白川です。 セッションの予定がイレギュラーになり、お問い合わせいただいた方、お申込みいただいた方、またブログやSNS等をご覧いただいている方、大変申し訳ございませんでした。 今後活動を続けていくため、クオリティを上げるため、色々溜め込んでしまっていたために、必要なリセットやクリアリングでした。 ワーク中から終了後にかけ、発熱(おそらく知恵熱)やおそろしく眠り続けるなど色々起こりました。この辺りは平常運転なのでご心配なく。 より曇りなき受信体でいられるよう精進いたすのも、私のエゴ入ってるかもなあ なんてことも思いつつ、これからも努めてまいります。 なにとぞよろしくお願い申し上げます。 最近、龍や龍神様に関することを目や耳にすることが増えて、自分で感じている存在との大きな差に、かえって龍とはどんな存在なのか、わけが分からなくなっておりました。 いつから龍や龍神様は、自己実現や幸せなどの引き寄せの手段になったのでしょう。 見聞きするなかで、特に具体化されたもののほとんどは「これじゃない」「イヤイヤ感(笑)」が止められずにおります。 これじゃない、と言えるということは具体化したイメージがありそうですが、そうでもないのです。 美術品と言えるものに関しては何も感じないので、美意識的にNGなのかもしれない という可能性もありつつ読んでいただけたら幸いです。 私にとって龍や龍神様は形をとっていないのです。 たぶんそう、というエネルギーを感じるのみです。 そして必ず、「吹けば飛んじゃう自分の命」ということを実感するときに感じるのです。 レーザービームのような視線を受けることもあります。 不思議とワークやスピリチュアルなことではなく、大自然の中に意識的に放り出されたときに、それはやってきました。 今回初めて、古神道矢加部先生の元で龍神ワークに参加させていただき、 私の感じ方もそれはそれで間違いではないのだな、と納得することができました。 ありがとうございました。 初めてそれに出会ったのは 昔々、スポーティでボーイッシュで良い子で暴れん坊だった二十代の初め、 真夏に突然思いつき、ひとりカヌーの講習に行ったときのことです。 場所は山の中。 某霊山麓のダム湖。 標高は約400m。 ...